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最初のブログ→経緯2乳がん発覚のとき
乳がん発覚~転移告知~現在を時系列で読んでいただくと、心の動きや考え方、身体の状態についてよりご理解いただけると思います。(#^^#)
私は悔しかったの。
本当に悔しかったの。
許せない。
絶対に許したくない。
そう言ってワンワン泣いた。
こんな風に人前で声を上げてワンワン泣くなんていつ以来かな。
姉に縁を切ると言われ、母にも庇ってもらえなかった。
その事を友達や信用できる人に話す時は、落ち着いてなるべく感情的にならない様に話した。
「酷いでしょ、ショックだったよ」
と冷静に言い、姉や母の考えを分析したり冷静に批判するようにしていた。
自分一人の時でも。
どこか冷静に。
でも、友人に抱きしめてもらってわんわん泣いたら、自分でも思ってもなかった言葉が口をついて出てきてビックリした。
自分の中にこんな感情があったことを知らなかった。
私、悔しかったのか。
そんな事を思うのは許されない事だった。
負けになるから。
だって私が悔しいと思うことは、姉の勝利になることだから。
まんまと姉の策にしてやられることだから。
だから絶対に悔しいなんて思ってはいけないことだった。
負けを認めることになるから。
それが子供の頃から育った家での基準?だ。
悔しい。
無意識に封印していた言葉。
その言葉が出て、自分の感情を初めて知った。
友達が久しぶりに遊びに来てくれた。
高校からの親友と久しぶりに会えた。
1年ぶりかな?
たった一年、されど一年
変わったなぁ。とても素敵に。
最近は仕事の事で悩んでがんばって色々考えていた。
それらを乗り越えたからなのか、何か一皮むけたような大きくなったような感じがした。
そう言うと、彼女は思うところがあったみたいです。
「そう言えば、以前、私は誰にも相談事ってされないって言ってたでしょ?
それがね、最近色々と相談されるの。今まで何も言わなかった人が、子供の頃の辛い生い立ちとかトラウマを話してくれるようになったりしてね。」
前からあなたの周りには人が沢山いたわよ、とおもいながらも、分かる。変わったもん。
今までよりさらに懐が深くなったというか、心が太くなったというか、とにかく強くて深い愛を感じる。
こんな年になっても人って成長もするし変わることもあるよね、と話していました。
彼女は数年前に大の仲良しだったお母さんを無くしています。
その経験もとても辛いことではあったけど、幼少時はそのお母さんとも上手くいかず辛い時代があったのです。
お母さんにとっても辛い時期で、娘に愛情を注げなかった。
かと言って虐待やネグレクトではなく、いつも優しく穏やかで家事などの子供の世話はちゃんとしてくれてはいたそうです。ただ両親や祖母は不仲で、家族の誰もが顔色を伺いながら生活し、思った事を口に出来る家ではなかったそうなのです。
友人が大人になり、お母さんの立場や事情が理解できるようになって、辛かったことも許せるようになった。
でも、どうしても一つだけ自分の中で解消できない事がのこっていると言っていました。
ずっとお母さんにして欲しかった事。
ギューッと抱きしめてもらうこと。
なんだそんな事かと思う人もいると思う。
そんな事をいい歳して未だに言ってるの、と思うかもしれない。
でも、当たり前に与えられてきた人には、それを貰えなかった影響の大きさは分からないと思います。
人格形成の段階で与えられる影響は計り知れない。
子供の頃のたった数年が、その後の長い人生にずっと影響するなんて甘えだ、逃げだと言う人もいます。
でも、その頃作られた歪んだ価値観や人格で、その後の経験の全てを感じ取るのだから、一時期だけの影響なんて言えないのです。
歪みに気づいて矯正しない限りは、どんどんとズレ続けていくのだから。
そして気づいたところですぐには自分の常識を変えることはできない。
不完全な自分やイビツな部分が露呈しないようにと周囲を誤魔化しながら生きているのです。
その不安さも不安定さも当たり前に生きてきて人は感じられないんじゃないかな。
そしてそれがまた、二次的な傷になるってことも。
その友達は、抱きしめて貰えなくて愛情を信じられないまま大人になった。
若い頃の恋愛は、愛情を信じられないあまり、自分に自信もなく相手を確かめる行動ばかりしていた。
お母さんのように言葉や態度はいつも優しく、至れり尽くせり何でもしてくれるけれど、本当は彼から愛されてないのではないか。
上手くいかない事を繰り返した。
そして、今の旦那さんに巡り会った。
つづく ✽+†+✽―✽+†+✽━━━☞
長いので分けました。
重い話で申し訳ありませんが、
よろしければ続きをどうぞ (人 •͈ᴗ•͈)
よろしければお願いします😆
読んでいただきありがとうございます😊