わがままなのは私なんだろうか

 

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乳がん発覚~転移告知~現在を時系列で読んでいただくと、心の動きや考え方、身体の状態についてよりご理解いただけると思います。(#^^#)

 

 

鈴鹿での昨日の会話の続きです。内容が重複しますがすみません。

(^◇^;) わかんなくなっちゃって。

 

それで、最後の最後の時に幸せだなと思うことは何?って聞いたところからです。

そしたら、家族の看取りだそうです。
看護師さんがいくらいても、その瞬間にはいないかも知れない。
でも家族なら、もうっていう時から付き添って最後まで看取るから一人にはならないそうです。
やっぱり最後の瞬間に一人は寂しいと言ってました。

 

その話した事が頭から離れないのです。

「最後に一人は寂しい」

その言葉に激しく動揺したのは、誰でもいいからそばにいてほしいという意味ではなくて、母に看取って欲しいということなのかな。 

 

最後の最後まで拒否されるかもしれないから、早く私の意識のしっかりあるうちに、受け入れたっていう確約が欲しいのかしれない。

 

その人は続けて話してくれた。

「子供が死んでしまうって事を受け入れられない親は、それなりに何人かはいるよ。
それくらい親にとっては難しいことなんだよ」と、

 

私は、辛いだろうけど親ならそれを超えてでも受け入れて力になってくれるものだと思っていました。
子供が一人で闘病しているのに、信じたくない、受け入れるのが怖い、なんてことが理由でほっとくわけがないと思っていた。

よその親は受け入れているのに、なんで私の母はほったらかしにしているのかと思っていました。

でもそれは放っているわけではなく、まだ信じていない状態と言う事みたいです。

そもそも、人が何かを決めるタイミングを別の人間が決めることでは無い。

そういうことなのかもしれない。

 

母は、受け入れれないと決めたのではなく、まだ受け止めていない状態なのかもしれない。

「お母さんが受け入れられないのは、まだ今受け入れられないだけじゃないん?」

「誰でもそう簡単に受け入れられないよ。子供が自分より先になんて。
葛藤して現実を見て、弱っていく姿を見て、やっと受け入れられる 人もいるよ。
もしかしたら今が、葛藤してる時期、途中なんじゃないの?」

葛藤して受け入れるタイミングが同じとは限らないから。
私が受け入れたタイミングでもお母さんはまだ葛藤してる時期で答えは出てない。
なら、今の態度が答えじゃないよ。
最後の時にそばにいるかどうかだよ。」

 

「それまでの未来は今作るんじゃないかな。」

 

私のタイミングしか考えてなかった。

 

 

だけど、あまりにも受け入れられない期間が長いと、まだ無理なんだなんて悠長には考えられない。
一人で辛い時間が長すぎる。

期待して話して、期待して期待して、傷ついて。
もう、いい。
期待をしないと思った時に少しだけ理解されても、もう遅いと思ってしまう。

 

私はわがままなんだろうか。

 

 

 

 

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