死の恐怖と生への執着

 

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乳がん発覚~転移告知~現在を時系列で読んでいただくと、心の動きや考え方、身体の状態についてよりご理解いただけると思います。(#^^#)

 

 

ある心理学の教授にされた質問から。

 

一枚の絵。

とても大事なものだったら。

捨てられて二度と手に入らなくなると、淋しい。辛くて悲しい。
だから何とかして手放さなくていい方法を考える。

 

大事じゃない絵だったら?

簡単に捨ててしまっても何とも思わない。
別に辛くも無いし寂しくも無い。
どうだっていい。

 

大切な人。

二度と会えなくなるなんて、辛い、淋しい、悲しい。
これからも会いたい。
会える方法を必死で考える。

 

大切でない人。

会えても会えなくてもどうでもいい。
別に寂しくないし辛くない。
あまり考えもしない。

 

自分が大切に思っている物を失うのは辛い。
何とかして残したい。
取り戻したい。

自分が大切に思っていないものは失ってもいい。
大切でなかったら簡単に捨てる事ができる。

どんな事や物も自分がそれを大切に思っているかどうかで、失いたくないか、失ってもいいかが決まる。

単純な話ですよね。

 

 

自分にとっての、友達や周りにいてくれる人。

絶対に失いたくない。
だからできるだけ大切にする。
迷惑をかけてうんざりされたくないし重荷になりたくない。

 

自分にとっての、自分。

人に多大な迷惑をかけてまで生きたくない。
みんなと一緒に楽しく過ごせることが重要。
自分一人で生きていてもその人生に価値がない。

 

おや、自分にとっての自分個人は、
「生きていても価値がない」
と、思ってるってこと?
自分にとって自分は大切ではないってこと?

友達にうんざりされて、失うくらいなら、そうまでして生きたくない?

極論、人に嫌われるくらいなら死にたいの?

 

因みに、自分にとっての自分が大切なら、上の答えは

失う(死ぬ)のは辛い。
何とかして生き延びたい。
生きる方法を必死で考える。

とかになるのかな?

 

 

これは自己評価や自己肯定感が低い人にありがちな、無価値感だそうです。

自分判断ではなく、人の評価で自分の価値を確認するそうです。

自分が無価値だとは思ってなくても、深層心理では自分のことをそう感じている場合もあるそうです。

 

かといって、積極的に死にたいとか思ってるわけじゃあなくて、どっちでもいい、という事らしいです。

 

 

ただね、自己肯定感が低くて、自分が生きる事に執着がないという事が、悪いというわけではないそうです。
また、必死に生きる事が良いというわけでも悪いというわけでもないそうです。
どちらが正解という事ではないんだって。

重要なのは、今の自分がどうなのか。
そして自分はどうありたいのか。
自分にとって一番良いバランスを保つ事が大切なようです。

特に病気で闘病中の場合は、自己肯定感が高すぎると、「生」を失いたくなくて、執着から暴走してしまい、冷静な判断ができずに突飛な選択をする場合もあるわけですし。
また、それでも生きる事が難しいとわかると、とても辛い思いをするって事だし。

低すぎると、生きようというモチベーションが低いわけだし。

 

 

要は、「何が正解かではなく、自分が生きる上で一番楽な考え方をすればいい」という事だそうです。

 

私は、
死ぬまでのプロセスは怖いけど、死ぬ事自体はそこまでではない。怖くない訳ではないけど、何としても生きていたいとは思わない。

確かに、そんなに自分に価値があるとは思っていないし、自己肯定感も低い。

友達と居てこそ、居てくれる人たちがあってこそ自分は価値があると思っているのかもしれない。

 

でも、もう一つ、

結構自分なりに色々なことを経験したと思うし、辛い事も苦しい事も一杯あったけど楽しむ事も十分楽しんだ。

だから、もうお腹いっぱい。

 

これは、ただの胃もたれ?

疲れてるだけかな?笑

 

少なくとも今は笑っているので良しとしときましょう。

 

 

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