「転移を伝えたとき」お手軽な共感は患者の誇りを打ち砕く (がん患者の気持ちと接し方)

 

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乳がん発覚~転移告知~現在を時系列で読んでいただくと、心の動きや考え方、身体の状態についてよりご理解いただけると思います。(#^^#)

 

できればこちらをまず読んで頂きたいです。
一番知って欲しい事を書いてます。
→がん患者と接する時、気を付ける言葉

 

「いまの自分を受け入れて」って?

 

自分が良いと思っている事は人に薦めたいと思いますよね。
そして病気の友人の辛い気持ちに寄り添おうと、「分かっているよ」と言うつもりかもしれません。
でも、言い方ひとつで許しがたい残酷な言葉になると思います。

 

 

その友人は「全身にがんが転移している」と人伝えに聞いたらしく、連絡をもらいました。
その子はある教室を持っていて、メンタル的なことも取り入れていました。それもあって、何か支えになろうと思ってくれたようでした。

その気持ちは分かっているので本当に嬉しいけれど、残念ながらとても腹が立ってしまったのです。

 

 

「ステージ4ってこと?」

「私のクラスでは、今の自分を受け入れて心と体を繋ぐように伝えてるんだけど、アナタは「今の自分」を受け入れられてるかな?」

「今の自分。
受け入れたくないよね!
まさか?自分が?だよね。」

 

 

上から目線で「今の自分を受け入れられてるかな?」なんて、健康目的で運動やリフレッシュを楽しんでしてる人に言われたくない。

あなたのレッスンを受けたら、命の危険を簡単に受け入れる事ができるとでも?一体何様なのか。
人の命をどこまで軽く見ているのか!

 

 

なぜパニックになるのか

長く生きれないかもしれないと知らされると、なぜパニックになったり悲しむ人が多いのか。

もちろん死の恐怖や、痛みや苦しみの恐怖に晒されるのだから、当然だと思う。
私も痛みや苦しみは本当に恐ろしい。

当たり前に続くと思っていた日常から1人取り残さ。
自分が居なくなっても世界は何の変化もなく回り続ける。孤独感。

 

そして、やり残した事を諦める悔しさが原因の一つであるとも思う。

 

例えば子供がいたら、例えばやり残した仕事があれば、目標に一歩一歩近づいている途中であれば。

努力して真剣に生きてきた人ほど強制的に幕を降ろされるのは耐え難い。

 

例えば練習に練習を重ねてやっとたどり着いたW杯の直前で断念しなければならなくなったら。
例えば何年も受験勉強を続けてきた試験の当日に事故にあったら。

 

そう簡単に諦め切れるものだろうか。

それが存在を消されるという事だったら。

 

今直面している現実と向き合う

悔しさを消す事はできないけれど、受け入れるためには何かしら別のものがいる。

それは達成できなかったけれど、間違った生き方ではなかったという誇りかもしれない。

自分は与えられた時間の中で精一杯生きた。手を抜いて怠惰に生きてきたわけではない。と。

 

未来に向けての計画や努力があったからこそ、やり残しがありるのだから

やり残したことに対する悔しさこそが、自分の生き方を肯定することになり、誇りになるのだと思う

 

 

自分に誇りを持つ

誇りを持つなんて簡単ではなく、また自分の生き方の全てを肯定するなんて無理だと思う。
それでも、自分なりの生きる意味や大切にしてきた事の結果を見つけることで、自分の人生の価値に納得していく事なんじゃないかと思う。

みんなが自分を必要としてくれたり心配してくれるのは自分が大切にしてきた事に価値があったから。
間違ってなかった。

 

価値を見つける

死に直面するとは、自分の今までの選択を自分自身で洗い直す作業であり、もうやり直すことも出来ないかもしれない中で、人生の通知表を突きつけられることだ。

自分の生き方や人格をまざまざと見せつけられ、それを受け入れるのは容易くはない。

でも、今幸せと思える瞬間、ありがとうと言える瞬間は間違いなく自分で作ってきたものが、形になって現れる瞬間なんじゃないかと思う。
それが良いことばかりで悪いことが少なければ、自分のしてきた事には価値があったと思えるんじゃないかな。

・人の笑顔が見れる時
・話を聞いてと相談してくれる時
・色々と手を貸そうとしてくれる時

そうやって少しずつ自分の生きてきた過程を振り返る。

 

お手軽な共感

冒頭の言葉を言われた時に戻りますが、
そもそも私は、よく言われている「ガンが告知された時の患者の気持ちの変化」に当てはまらなかったのです。
過去のブログで告知をされた時のことも書いてますが、さほどパニックにはならず頭が真っ白になったり何で自分がと悲観したり、そんな一連の流れではなかったのです。
だから余計に、私自身を見ずに、よくあるパターンに当てはめて分かっている風に言われるのが「いや違うし」と、腹が立ったのだと思います。

「受け入れたくないよね」なんて分かった風な事を言わないでほしい。
いや、全然最初から受け入れてるし。何も知らないのに何で分かっている風に上から物を言うのか?と思いました。

そして、「受け入れる」という行為は、そんなに簡単なことではないのです。

 

受け入れたくないのではない。
受け入れるしかないことに向き合っているんです。
私はいままで現実を直視して、できる限り冷静に対応しようと自分を律してきた。

「まさか、自分が。だよね」
「~だよね」って何?
この数日の私の何を知っているのか?
アナタは何を分った気でいるのか?
人を導くつもりだとしたら、それは傲慢じゃないか?
私の今までの人生は、そんなに簡単に理解されるような薄いものだとでも言いたいのか。
何様なんだ!

かけがえのない人や時間を感じながら、静かに自分の人生や命と向き合ってる最中に、いとも簡単に理解者を装い受け入れろと言う言葉は、私の誇りを粉々に砕かれる思いがした。

私の人生や生き方はそんなお手軽で簡単なもの時はない!

私はスマホをたたき割りそうになった。
涙で呼吸が止まりそうなほど怒りに震えた。

 

じゃあどうして欲しいか

そこですよね。

「どうしたらいい?何を言ってあげればいいの?」と思うばかりで伝えたい想いが出てこないなら、まず自分が落ち着く時間が必要なのかも知れません。

「こういった状況に置かれていない自分が、簡単に共感できるものだろうか」
と、まずはそう思ってみるのがいいんじゃないかなって思います。

そして、上手く言おうとかいい言葉を使おうとか、とにかく心に響く対応をしようと思いがちなので気をつけて欲しいです。それは本当に分かっちゃうんです。

そして当事者がどういう心理なのか、どういう状態なのかがわかってから自分なりの言葉をかけてくれたら、私は嬉しいです。

 

共感して欲しいんじゃなくて(無理だから)、理解しようとしてくれる事が嬉しいです。

 

 

あなたの気持ちを考えているよ。

あなたの気持ちを分かりたいと思っているよ。

あなたが考えていることをいつでも聞くよ。

 

きっと、何も言葉はいらないと思う。
私は「いつでも連絡して」と、1人じゃないんだと思わせてくれる事が一番嬉しかった。

「理解しようとしてくれる事」

これが一番幸せだと思ったことです。

 

 

どうかあなたの大切な人が、笑顔で過ごせますように

 

 

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